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鈴木美穂乳がん切除でステージ3?絶望の中で彼女を支えた決意とは?

   

お昼の情報番組「ミヤネ屋」にて報道局記者である鈴木美穂さんが結婚すると発表され、注目を集めていますね。彼女は記者として、ニュースコーナーの担当をしており、その美貌から「午後2時50分の美女」と呼ばれています。

ネーミングセンスはどうかと思いますが笑

一歳年上の会社員男性から付き合って一年目の記念日にプロポーズされ、結婚を決意したそうです。今週末にも籍を入れるとのことで、ハリセンボンや加藤浩次らをはじめスタジオのメンバーもみんな祝福ムードでした。

幸せいっぱいの彼女を見ていると、こっちまで心癒されるような思いでしたが、実は彼女には大変な闘病の過去があったんですね...。正直過去の闘病のことを知り、大変驚きました。そして、そんな過去を乗り越え一生懸命記者として使命を全うしようとする彼女の生き様に心打たれました。

今回の記事では、鈴木美穂さんの過去の闘病や当時の決意などを見ていきたいと思います。

☆まさかのガン?鈴木美穂さんの悲劇とは

慶應義塾大学の法学部を卒業し、入社3年目。仕事も徐々に慣れてきた。これから日本テレビの記者としてもっと全力で頑張っていこう。

そんなとき、鈴木美穂さんをガンが襲いました。

乳がんでした。

鈴木美穂さんは当時24歳、頭が真っ白になったそうです。無理もありません。自分の体はまだまだ健康で、風邪程度ならともかく、大病なんて全く縁のないものだと思っていたでしょうから...。

これほどの大病、乳がんのステージも3まできている。自分はこれまでなのか、もう復帰することもできないのか、絶望感の中で彼女は必死で病気と戦い続けました。

そんな時、彼女はこの「経験」を自分が世の中に伝えなくては。

そう思ったそうです。癌になった自分だからこそ、周囲の人に伝えられることがある。それは癌になった自分に課せられた使命だと言わんばかりの意気込みで、彼女の職場の人間も彼女の思いを受け止め、彼女の闘病記録をつけるなどして惜しみない協力をしていきました。

抗がん剤の作用に苦しんだときも、痛みや絶望でどん底の気分に陥ったときも、彼女の心を支えたのは「いつかこれを伝えるんだ!!」という強い気持ちでした。

病は気から、とも言いますね。

鈴木美穂さんは乳がんのステージ3、右乳房全摘出という本当に大変な状態から無事復帰しました。それだけ彼女の気持ちは強かったのです。

☆復帰後の鈴木美穂の活動

鈴木美穂さんの闘病期間は8ヶ月にも及びましたが、無事職場復帰することができました。自分が経験したからこそわかる、がんの恐ろしさ。

自分と同じ気持ちで、今も必死にがんと戦っている人たちがいる。そう思っただけで、彼女はいてもたってもいられない状況になりました。
そこで若くして癌にかかった、若年性癌患者に向けたフリーペーパー「STAND UP!!」を刊行しました。現在ではその組織はどんどん大きくなり、患者仲間だけで350人もの人数あつまる大きな団体に成長しました。
それだけでなく、医療・福祉といった分野に深く関わっている厚生労働省の担当記者となり積極的にがん患者への取材を繰り返しました。

☆まとめ

幸せいっぱいの結婚報道がされている鈴木美穂さん。今でこそ掴んだ人生最高の幸せの時ですが、かつては大変な苦労をして病と戦っていたのですね。
自分の命がなくなってしまうかもしれない。
そんなことを考えたら誰でも元気で正気を保ち続けることは難しいでしょう。でも、病気と戦っているのは決して自分ひとりではない。同じ境遇の、病気とともに戦っていける仲間がいる。
そう思えるだけで、心に生きる勇気や戦う気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。
鈴木美穂さんの行動はきっと多くの人の気持ちや体にいい影響を及ぼしていると思います。
今後もお仕事は継続されるとのことですので、しっかりとした幸せな家庭を築きながらも、今後も患者さんの心に寄り添い、希望となれる記者でいてほしいですね。
では、今回はここまで。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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